フ、と意識が浮上する。
自分がどこにいるのか分からなくて辺りを見渡すと、左には大きな窓に映る自分、右は狭い通路、座っているのはあまり座り心地の良くないシート席。そして目の前には窓枠に肘をついて外を見ている百々人先輩がいた。
「百々人先輩？」
「…………あ、起きたんだね」
声を掛ければ少しの間の後に返事が返ってくる。でも視線は外に向けられたままだ。つられて外を見ればさっきは暗いだけだと思っていた外の様子が普通とは違うことに気付く。
青や群青、紫が混ざった夜色にきらきらと光る大小様々な星粒。それが集まった河のようなものも眼下に見える。
耳を澄ませば線路を走っているわけでもないのにタタン、タタン、という音と遠くに汽笛が聞こえてきて、ここが汽車の中なのだとはっきりと分かった。
混乱しそうな状況なのに不思議と思考は落ち着いている。でも、何故ここにいるかはまったく分からない。
「俺、なんでこんなところにいるんですかね」
「さぁ、なんでだろうね」
相変わらず窓の外を見たままの百々人先輩が答えになってない言葉を返してきた。別に雑なわけでも投げやりなわけでもなく実際に分からないんだろうなという様子だ。俺が妙に落ち着いているのと同じ感じなのかもしれない。
「外、そんなに見てて楽しいですか？」
「うん、綺麗だよね。見てると落ち着くんだ」
「まぁ、言いたいことは分かりますけど……」
俺もまた外を見る。確かに見てて飽きない。同じように見えるのに星がひとつ瞬くだけで妙に楽しい気持ちになるのは何故なんだろう。
それに、久しぶりに百々人先輩と2人なのに穏やかな雰囲気だ。
1カ月前に百々人先輩に告白した。
曖昧に断られたけれど、そんな答えでそうですか分かりました。と言えるほど俺の諦めは良くなかったらしい。出来る限り強引にならないようにはしていたけれど好意を伝える俺に居心地が悪くなったんだろう。あからさまに見えないようにしつつも、先輩は俺と距離をとるようになった。プロデューサーがいる時はもちろん、鋭心先輩がいる時はまるで盾にしているように話しかけててさすがに少し堪えてたから、今こうやって2人で向かい合ってるのが正直嬉しい。話しかけたら普通に答えてくれそうだ。
「この前作ったパッション像どうでした？」
「LINK送られてきた時は外にいたのに吹き出しちゃった」
「よく出来ていたでしょう？ピエールはもっと大きくしたいって言って、冬馬さんも隼人さんも乗り気だったんですけどそれだと完成が危うくなるかなって思って出来なかったんですよ」
「そうなんだ。もし次があったらもっと大きいの作ったら楽しそうだね」
「その時は先輩も手伝ってくださいよ。結構楽しいですよ」
「…………次、か」
ふつり、と言葉を切った百々人先輩が初めてこちらを向いた。
「先に僕が言ったんだけどさ、次なんて無くても良くないかな」
「え？」
「アマミネくんはここにずっといたいって思わない？」
そう言われて、そういえばここはどこに向かってるのかも分からない汽車の中だということを思い出した。ここはレッスン室でも会議室でもない。それなのにやたらと穏やかなこの空間に当たり前にいることを受け入れていた自分がいた。
真っすぐに百々人先輩が俺の方を見ている。告白する前だってこんな風に見られたことはなかった。でも、その瞳に込められたものはよく分からない。なにか言葉を返したいのに、不思議なくらい言葉が浮かんでこなかった。
百々人先輩の視線から逃れるように外を見る。さっきまでと同じ風景だと思っていたのに、別の光景が広がっていて思わず立ち上がってしまう。
たくさんの光が揺れている。あの色は、
俺たちの色だ。
「先輩、戻りましょう」
先輩の目を見る。なにも浮かばなかったのが噓のように帰らなければという気持ちが沸き上がっていた。
「どうして？」
「ここには鋭心先輩も、プロデューサーも、ファンもいません。それなら俺たちがいるのはここじゃないです」
「こんなに居心地がいいのに？」
「はい。俺はやりたいことがたくさんあります。どれも、ここにいたら出来ないんです」
音楽で世界を変える。あいつを笑わせる。鋭心先輩と3人で行こうと言っていた場所もある。楽しみにしていたゲームのイベントも何個もあった。
それに、
「百々人先輩と恋人になったら行きたいと思ってる所もしたいと思ってることもたくさんあるんですよ」
そう言えば、百々人先輩はパチリパチリと目を瞬かせた。惚れた欲目を抜きにしても凄く可愛い。
「降りるの？」
「降ります。先輩も一緒ですよ」
百々人先輩に手を差し出す。僕はここに残るよなんて言われたらどうしようと思ったけれど、そうしたら無理やり引っ張っていこうと決めた。
「そっか。じゃあ、降りないとね」
意外なほどあっさりとこちらに手を伸ばしてくる様子に安堵する。
さて、どうやって降りたら良いのだろうと考えていたところに手のひらに百々人先輩の熱を感じたと同時に俺の意識は暗転した。
目が覚めた。
見覚えのない白い天井に独特な匂い、ベッドに寝ている感覚でここが病院なのだと分かった。
ゆっくりと身体を起こすとズキリ、と頭に痛みが走って一瞬目眩がする。左手を頭に持っていけばどうやら包帯が巻かれているらしく繊維質な手応えを感じた。
なんで俺は病院にいるんだろうか。と考えながら重みを感じる右手に視線をやれば俺の手を握る白い手に色素の抜けた髪がベッドの端に伏せていた。
「百々人先輩？」
声をかけてみても返事はない。どうやら寝ているみたいだ。前髪を払ってみると綺麗な色の瞳は瞼に閉ざされている。
そして酷く顔色が悪かった。目の下にはクマがあるし、肌もカサついている。目元には涙の跡もあった。
どさっ、と何かが落ちる音にそちらを見ればプロデューサーと鋭心先輩が驚いた様子でこちらを見ていた。さっきの音はプロデューサーが持っていた果物の入ったカゴが落ちた音らしい。
「先生を呼んできます！」
と慌ただしく出ていくプロデューサーに声をかける隙はなかった。だから落ちた果物を拾う鋭心先輩に声をかける。
「鋭心先輩、俺どうして病院にいるんですか？」
「……覚えていないのか？お前は事故にあった」
「事故……？…………あぁ」
思い出した。
C.FIRSTのライブ最終日。アンコールも終わって後は舞台から降りるだけ。という時に照明ライトが固定されてる軸ごと落ちてきた。それが百々人先輩に直撃しそうだったからとっさに俺が押しのけたんだ。そしてライトの直撃は免れたものの軸で頭を強く打って命に別状はなかったけれど1週間目が覚めなかったらしい。
「ライブが終わった後で良かったです」
「良いわけがないだろう」
ライブ後は少し休みがあったはずだから仕事の穴もそんなに開いてないはず。と思って言ったら間髪入れずに低い声が降ってきて思わず体がびくりと跳ねてしまった。恐る恐る先輩の顔を見れば眉間にくっきりと刻まれた皺とあまりにも強い視線に変な声が出そうになる。
「すみません、軽率なことを言いました……」
「…………」
少し震えた俺の謝罪に鋭心先輩は小さなため息をついて、いまだに眠り続けてる百々人先輩に視線を向けた。
眠っているのに俺の手を握る力は強い。
「寝かせておいてやれ。この1週間ほとんど眠れてないはずだ」
プロデューサーを手伝ってくると言って出ていこうとする鋭心先輩を呼び止める。
「心配をかけてしまってすみませんでした」
迷惑もかけてしまったけれど、それ以上に心配をかけてしまったと分かっているからこれだけは言わないといけない。その言葉に鋭心先輩は何かを飲み込むような顔をして頷くと、今度こそ部屋から出ていった。見たことはないけれど、ここが病室でなかったら大きな声で叱られていたかもしれない。
医者も他の患者がいるだろうからすぐには来ないだろうし、プロデューサーはあちこちに連絡をしなくてはいけない。鋭心先輩もそれを手伝うと言っていたから、もうしばらく百々人先輩を寝かせておけるだろうか。
「…………ん……」
そんなことを考えていたけれど、どうやら先輩は目を覚ますみたいだ。
ゆっくりと目を開け始めた先輩の手を握る。そうすると勢いよく顔を上げたその頬にはシーツの皴の跡がついていて少し笑ってしまった。
水気を増してゆく瞳から零れた雫を指で拭う。百々人先輩にも謝らないといけない。
でも、それ以上に伝えたい言葉があった。
「迎えに来てくれてありがとうございます。百々人先輩」
それから検査と念のためで3日入院した後に無事に退院したけれど他所への連絡などでなんだかんだでレッスンに復帰出来るまでに1週間かかってしまった。ちなみにSNSで退院したことを投稿したら言うまでもなくバズったしトレンドにも入った。
「はー……やっぱり丸2週間以上のブランクあるときついですね」
「だろうな。だが秀ならすぐに勘を取り戻せるだろう」
「頑張ります」
休憩に入るとほぼ同時に鋭心先輩のスマホが鳴り、少し外すと言ってレッスン室から出ていく。
俺が座って水を飲んでいたらぴたりと百々人先輩が体を寄せてくるのが最近のお決まりになっていた。病院で目を覚ましたあの日から先輩は俺に甘えたで、人前ではいつも通りだけれど2人きりになると一気に距離が近くなる。
凄く嬉しいし、今もう一度告白したら受けてもらえるんじゃないかとは思うけれど、それは先輩の弱くなってるところを突くような形になるんじゃないかと考えてしまって言い出せないままだ。
「……ねぇ、アマミネくん」
「は、はい。なんですか？」
近かった手をゆっくりと重ねられて思わず声が裏返ってしまった。恥ずかしい。
「僕と恋人になったらどこに行ってなにをしたい？」
前言撤回。今すぐ告白しよう。
「百々人先輩、好きです。俺の恋人になってください」
「…………うん、喜んで」
行きたい場所もやりたいこともたくさんある。
いつかのタイミングで汽車でどこかに行くのも良いかもしれない。
あの汽車にはもう乗れなくても百々人先輩と一緒ならあの空間はまた戻ってくるのだろうから。
銀河鉄道を降りて。
銀河鉄道に乗る秀百々の話。
