「♪ ♪♪ ♪」
「あ、あの、太宰さん……」
「♪ ♪」
楽しげに鼻歌を奏でる彼に水を差すのは悪いと思う。
けれど突然腕を引かれくるりくるりと廻るダンスに組み込まれてしまっているのだから止めてもらうには声をかけるしかなかった。
窺うように名前を呼んでみたけれど彼には届かなかったらしい。
灯の絞られたロビーは窓から差し込む月光に照らされ思いの外明るく、彼の顔がよく見えた。手入れの行き届いた紅緋がさらりと揺らめき、黄金色の瞳は楽しげに細められている。
ああ、綺麗だな。と素直にそう思えた。
そしてふわりと漂ってきたアルコールの匂いに、ようやく彼が酒に酔っているのだと気付く。
顔色はいつもと変わらなく見えるので酔いが顔に出にくい体質なのだろう。思い返さば夕方に同じ無頼派である坂口安吾と織田作之助と3人で外に出ていた。どこかで飲んできた帰りということか。
それならこの上機嫌な様子にも納得がいく。
楽しく酔えることは良いことだと思う。自分が巻き込まれていなければの話だけれど。
「ねぇ、有島さん」
酔った人間の相手はほとんどしたことがない。どうしたものかと考えていると、とろりと溶けたような声で名を呼ばれた。ステップは止まらずくるりくるりと廻りながら。
「俺さ、あんたのこと好きなんだ」
楽しげに告げられた好意に困惑した。
彼とは時折夜を共有することがある。色めいたものではなく、溺れるような闇の中でたまに彼と出会い、少しの時間を共有するのだ。言葉がない日もあれば二言三言会話をする日もあった
実のある内容ではなくなんてことのない言葉の応酬とも呼べないようなものだ。それでも少し救われた自分がいたことは知っているし、もしかしたら彼もそうだったのかもしれない。
これだけ酔っているのだから明日……もう今日ではあるが、記憶にしっかりと定着することはないだろう。それなら、こう答えよう。
「僕もあなたが好きだよ」
音に出すと少し気恥ずかしかった。驚いたように開かれた瞳に月光が差し込みキラキラと光って、すぐに嬉しそうに細められる。普段の自信に満ち溢れた笑顔とは違う少し幼さを感じる笑顔に自然とこちらも笑ってしまった。
「両想いだ」
「そうだね」
「うれしい」
いつの間にか止まっていたステップにほっと息をつく。繋がれていた手が緩く数回上下し離れる。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そうして深夜の2人だけの舞踏会は幕を下ろした。
朝になって、
「俺、太宰治は有島武郎さんと交際を始めました!」
という高らかな宣言に志賀くんは椅子ごと後ろに倒れ武者さんはえっ!?と声を上げ、独歩さんがこちらにカメラを向けて何回もシャッターを押す中、先程までまとわりついていた睡魔は無情にも僕を残してどこかへと逃げ去ったのだった。